写真を撮る前に、一度だけ画面を見る癖がついた。
構図を整えたいわけでも、写りを気にしているわけでもない。
ただ、シャッターを押す前に、自然と画面へ視線が落ちる。
20代の頃は、
カメラを向けたらそのまま撮っていた。
一瞬の勢いで撮ることが多く、
画面を見るのは撮った“あと”だった。
でも今は、
撮る前に一度だけ画面を確かめる。
その“確かめ”が、以前より確実に増えている。
撮る前に、わずかな“間”が挟まる
誰かを撮るときも、
風景を撮るときも、
シャッターを押す前に一拍だけ止まる。
光の入り方を見ているようで、
実際はそこまで気にしていない。
ピントを合わせているようで、
ただ画面を眺めているだけの日もある。
その一拍の“間”が、
撮る行為の前に自然と入り込む。
20代の頃は、
その間がほとんどなかった。
今は、
その間がないと落ち着かない。
画面を見るのは、写りより“自分の気持ち”の確認に近い
画面を見ているのは、
写真のためというより、
自分が今撮る気持ちになっているかを確かめるために近い。
撮りたいと思ってカメラを構えたはずなのに、
画面を見た瞬間に、
「あ、今じゃないな」と感じることがある。
逆に、
画面を見て初めて、
「やっぱり撮ろう」と思えることもある。
画面は、
写りを確認する場所ではなく、
気持ちの“位置”を確かめる場所になる。
以前より、写真が“行為”ではなく“選択”に近づく
20代の頃は、
写真は勢いで撮るものだった。
撮りたいと思ったら撮る。
それだけで十分だった。
でも今は、
撮るかどうかの判断が、
ほんの少しだけ慎重になる。
撮ることで残るもの、
撮らないことで流れていくもの。
そのどちらも意識していないようで、
どこかで薄く感じている。
だから、
撮る前に一度だけ画面を見る。
その一瞬が、
“撮る”という行為を選び直す時間になる。
画面を見る癖は、慎重さではなく“揺れ”の表れ
画面を見る癖がついたのは、
慎重になったからではない。
ただ、
撮る前の気持ちが少しだけ揺れるようになっただけ。
撮る → 見る → 撮る
その揺れが自然に増える。
20代の頃は、
揺れがあっても気づかなかった。
今は、
その揺れが画面の中に薄く映る。
ぶった切り結論
写真を撮る前に画面を見るのは、
写りを気にしているからではない。
撮る前の気持ちが、
ほんの少しだけ揺れるようになっただけかもしれない。
その一拍が増えたぶんだけ、
写真の意味も静かに変わっていく。

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