昔の写真を見る機会は、
思っているより急にやってくる。
スマートフォンの整理中。
誰かとのやり取りの流れ。
何年か前の旅行の記録。
画面の中には、
今より少し若い自分がいる。
顔つきも違う。
輪郭も少し違う。
服の選び方も、
どこかその時期の空気をまとっている。
でも、
それを見て強く羨ましくなるとは限らない。
若かった、とは思う。
ただ、
戻りたいとは少し違う場所に感情が止まる。
若さより、そのときの温度が先に見える
20代のころは、
数年前の写真を見るだけでも変化が大きかった。
髪型が違う。
服の選び方が違う。
表情もどこか軽い。
だから写真の差は、
そのまま時間の差として見えやすかった。
でもある頃から、
顔そのものより先に、
そのときの空気が目に入る。
どこで撮ったか。
誰といたか。
何を考えていた時期か。
その日の服装や表情が、
外見というより背景に近くなる。
たしかに今より張りはある。
肌も少し明るい。
けれど、
そこだけを切り取って羨ましいとは思いにくい。
写真の中には、
そのとき抱えていた忙しさや、
まだ整理できていなかったものまで一緒に残っているように見える。
よく見える部分だけを、切り離しにくくなる
昔の写真は、
どうしても良く見える部分が先に立つ。
輪郭。
姿勢。
疲れの少なさ。
それでも、
今よりいいとは簡単に言いにくい。
たとえば、
当時は似合っていた服でも、
今の自分なら選ばないと思うことがある。
表情が明るく見えても、
その頃はその頃で別の余裕のなさがあったことを思い出す。
若さだけを単体で切り出しにくくなる。
一枚の写真に、
見た目以外の情報が増えて見えるからかもしれない。
20代のころは、
見た目の差だけで判断しやすかった。
いまは、
その一枚の前後まで一緒に浮かぶ。
今の顔に慣れたというより、比較の仕方が変わる
昔の写真を見て、
変わったことには気づく。
目元。
輪郭。
立ち姿。
小さな違いはいくつもある。
でもそれを、
損失としてだけ受け取る感じでもない。
たぶん、
今の顔に慣れたというだけではない。
比較の仕方が変わる。
以前なら、
「若いほうがいい」が先に来た。
いまは、
その年齢にしかなかったものと、
今しかない落ち着きが同時に見える。
どちらか一方に寄せにくい。
写真の中の自分は、
たしかに軽い。
でも、
いまの自分がそこに入ったら、
同じ表情にはならない気もする。
懐かしさと羨ましさは、少し別になる
懐かしいとは思う。
この時期だったな、
と立ち止まることもある。
でもその感情は、
羨ましいとは少し違う。
戻したいのではなく、
たしかにそこを通ったという確認に近い。
昔の自分が優れていた、
という見方にもなりにくい。
今より整って見える瞬間があっても、
それだけで評価が決まらない。
一枚の写真に、
時間が混ざるようになる。
だから、
見た目だけでは感情が動ききらない。
若かったことは事実でも、
その若さだけを取り出して欲しくなるわけではない。
写真に写っているのは、
顔だけではないのだと思う。

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