何かを始める前に終わり方を考えてしまう

何かを始める前に、
先に終わり方を考えることがある。

大きな決断ではない。

小さいことでもそうだ。

新しいアプリを入れる。
本を買う。
休日に少し遠くへ行く。

その瞬間、
始めるかどうかより前に、
途中で止める場面が浮かぶ。

最後まで続かなかったらどうするか。

途中で置いたままになるか。

そこまで強く不安なわけではない。

ただ、
入口の前で
出口が一度見える。

目次

始める前に“続かなかった場合”が混ざる

以前は、
気になったら始めていた。

必要かどうかより、
まず触ってみる。

面白そうならやる。

あとで決めればいい。

その順番だった。

今は、
始める前に少しだけ
その先が入る。

数日後。
一週間後。
置かれたままになる場面。

使わなくなるかもしれない。
途中で開かなくなるかもしれない。

その可能性を
先に知っている。

終わり方を考えるのは慎重さだけではない

慎重になった、
というほどでもない。

失敗が怖いわけでもない。

ただ、
始めたものが
自然に薄れていく感覚を
何度も経験している。

最初だけ熱があるもの。

途中で触れなくなるもの。

その流れを知っているから、
入口で一度止まる。

始める前から
熱が冷めるわけではない。

でも、
勢いだけでは入らない。

小さい予定でも“戻る時間”を見ている

休日に出かけるときもある。

行き先を見る。

そのあと、
帰る時間が浮かぶ。

何時に戻るか。
帰ってから何をするか。

以前は、
出かけることが先だった。

今は、
戻ったあとの時間も
最初から並ぶ。

映画を見る。
食事に行く。
少し遠くへ行く。

そのどれも、
終わったあとが先にある。

途中でやめることを前提にしているわけではない

最初から諦めているわけではない。

続けない前提でもない。

むしろ、
やるなら静かに始めたいと思う。

ただ、
始めたあと
どう区切るかが先に浮かぶ。

一冊ならどこで閉じるか。
動画ならどこまで見るか。

夜なら何時までか。

終わりが見えると、
始めやすいこともある。

20代の頃は“始める”だけで成立していた

始めることに
意味があった。

勢いのまま入る。

途中で変わってもいい。

止まってもいい。

その軽さがあった。

今は、
軽さが消えたわけではない。

ただ、
始まりだけでは
動きにくい。

最後までの形が
少し見えてから動く。

終わり方があると落ち着く

予定にも、
買い物にも、
少しだけ出口がいる。

どこで閉じるか。

どこで戻るか。

それがあると
気持ちが整う。

始める前に終わり方を考えるのは、
慎重さというより
流れを先に置く感覚に近い。

何かを始める前に、
少しだけ
終わる場面を通っている。

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この記事を書いた人

35歳以降の言葉になりにくい感覚を記録しています。
人と時間のあいだに残るものを観察しながら、別の形の対話もつくっています。

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