予定がない日は、時間に追われない。
朝から何時に出る必要もなく、
次の予定までの逆算もしなくていい。
だから、時間を気にせず過ごせるはずなのに、
実際には時計を見る回数が増えることがある。
スマートフォンの画面を開く。
部屋の時計を見る。
思ったよりまだ昼前だと気づく。
急いでいるわけではない。
遅れているわけでもない。
それでも、何度か時刻を確かめる。
忙しい日のほうが、
むしろ時間を見ないまま進んでいることもある。
予定がない日の時間だけ、
少し違う流れ方をする。
午前が長く感じることがある
予定がある日は、朝から動きが決まっている。
何時に出る。
何時に着く。
何時までに終える。
その流れの中では、
時間は区切りとして働く。
20代の頃は、予定のない日にも勢いが残っていた。
昼まで寝る日もあれば、
急に出かけることもあった。
何をするか決めずに外へ出ても、
そのまま一日が進んでいた。
今は、午前の静けさが少し長い。
朝食のあとにひと息つく。
少し片づける。
ひとつ動画を見る。
そのたびに時計を見る。
まだこんな時間かと思うこともあれば、
思ったより進んでいると感じることもある。
どちらでも、確認だけは増える。
時間を使っていない感覚ではないのに
何もしていないわけではない。
洗濯をする。
メールを返す。
少し掃除をする。
小さなことは進んでいる。
それでも、予定が入っている日ほど
時間が前に進んでいる感じにならないことがある。
ひとつ終わっても、
次に何時までという区切りがない。
だから一区切りごとに、
いま何時かを見たくなる。
時間を無駄にしているわけではないのに、
確認だけが増える。
20代なら、
区切りがなくてもそのまま流れていた。
ひとつ終われば次に移り、
時間そのものをあまり数えていなかった。
今は少し違う。
何かを始める前にも、
始めたあとにも時刻を見る。
空いている時間ほど輪郭が見える
予定がない日は、
自由な時間が増える。
けれど自由であることと、
時間が軽くなることは少し違う。
午後になっても予定がないと、
あとどれくらい残っているかを考える。
夕方まで何をするか。
外に出るか。
このまま家にいるか。
その判断の前にも時計を見る。
時間が余っているからではなく、
余白の輪郭が見えるからかもしれない。
忙しい日は、
次の予定が自然に時間を埋める。
空いている日は、
埋めるものを自分で選ぶ。
そのたびに時刻が少し気になる。
夜になると急に早く感じる
昼間は長く感じたのに、
夕方を過ぎると急に時間が縮むことがある。
もうこんな時間かと思う。
一日が遅かったのか早かったのか、
少し分からなくなる。
時計を何度も見ていたのに、
結局どこで進んだのかは曖昧なまま残る。
予定がある日は、
一日の終わりに理由がつきやすい。
何をしていたかが並ぶ。
予定がない日は、
細かい断片はあるのに、
時間のまとまりだけが少し薄い。
だから最後にもまた時計を見る。
急いでいない日にだけ見えるものがある
時計を見る回数が増えるのは、
急いでいるからとは限らない。
何かを待っているわけでもない。
ただ、時間がそのまま置かれている日に、
確認だけが増えることがある。
予定がない日の静けさの中では、
時間そのものが少し前に出て見える。

コメント