急行に乗る意味が、以前より薄く感じられることがある。
早く着きたい気持ちはあるのに、急行を待つほどの理由が浮かばない。
気づけば、各駅にそのまま乗っている。
20代の頃は、
「少しでも早く」がそのまま正解だった。
急行に乗るのは当然で、
各駅に乗るのは時間を無駄にしているように思えた。
でも今は、
急行を待つほどの“差”が、どこか曖昧になる。
目次
急いでいるはずなのに、足が止まらない
駅のホームで、
急行の到着まであと3分と表示されている。
前なら迷わず待っていたはずなのに、
そのまま来た各駅に乗ってしまう。
急いでいないわけではない。
ただ、
「3分待つ → 早く着く」という計算が、
以前ほど強く働かない。
急行を選ばなかった理由を、
自分でも説明できないまま電車が動き出す。
早く着くことより、“移動の重さ”が気になる
急行に乗る意味が薄れるのは、
時間の問題というより、
移動そのものの重さが変わるからかもしれない。
急行の混雑、
乗り換えの速さ、
車内の空気。
20代の頃は、
それらを気にする前に「早く」が勝っていた。
今は、
その全部を一度受け止めてから選ぶようになる。
急行に乗ると早い。
でも、その早さが“得”に感じられない瞬間がある。
目的地より、移動の“間”が少しだけ大事になる
急行に乗らないのは、
のんびりしたいからでも、
余裕があるからでもない。
ただ、
移動の中にある“間”が、
以前より少しだけ大事に感じられる。
各駅の停車時間、
車内の揺れ、
窓の外の流れ。
急行のスピードより、
その“間”のほうが自然に馴染む瞬間がある。
20代の頃は、
移動はただの移動だった。
今は、
移動の中にある小さな余白が、
静かに意味を持ち始める。

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