電車で空席を見つけたとき、
前より少しだけ判断が増える。
座れば楽なのはわかっている。
でも、
その一回を使うほどでもない気もする。
疲れていないわけではない。
けれど、
はっきり疲れたとも言いにくい。
立っていられる。
だからこそ、
座る理由が少し弱く感じる。
座るほどではない、が先に立つ
以前は、
空席があってもそのまま立っていることが多かった。
次で降りる。
移動しやすい。
なんとなくそのまま。
そこに迷いはあまりなかった。
座るかどうかを、
わざわざ判断していなかった。
でも今は、
席がひとつ空くと一度だけ考える。
座ればたしかに楽になる。
ただ、
まだ立てるとも思う。
その二つが同時にある。
どちらも正しいぶん、
一拍だけ止まる。
楽を取るほどではない気がするときがある
強く疲れていれば迷わない。
長く歩いた日。
荷物が重い日。
眠れていない日。
そういう日は、
座る理由がはっきりしている。
迷うのはそこまでではない日だ。
少しだけ、
このまま立っていると長く感じそうな日。
でも、
その程度では説明にならない気もする。
たった数駅。
その数駅に、
わざわざ座るほどだろうかと思う。
座ることが悪いわけではない。
なのに、
自分の中で小さく確認が入る。
誰かに譲るかもしれない、が途中に入る
もう一つ、
自分だけで決めきれない理由がある。
次の駅で誰か乗るかもしれない。
もっと必要そうな人が来るかもしれない。
高齢の人。
荷物の多い人。
明らかに疲れている人。
もちろん毎回そう考えるわけではない。
でも、
空席が少ないときほどその考えが途中に入る。
自分が座っても問題はない。
ただ、
今すぐ座るほどでもないなら、
少し待ってもいい気もする。
その判断もまた、
座る決断を少しだけ後ろにずらす。
立つ理由も、強くはない
不思議なのは、
立ち続ける理由もはっきりしないことだ。
次で降りるわけでもない。
混んでいるわけでもない。
立っていたいわけでもない。
それでも、
座る前に一度止まる。
若いころは、
立っていることに意味がなかった。
今は逆に、
座ることにも強い意味がない。
どちらも決定打にならない。
だから、
判断だけが少し残る。
結局、その一拍だけが増えている
座る日もある。
そのまま立つ日もある。
空いた席を見送ることもある。
どれが正しいとも言いにくい。
ただ、
前より増えたのは、
空席を見た瞬間の一拍だけだ。
疲れたと言うほどではない。
でも、
何も考えずに動くほどでもない。
その間が、
少しだけ長くなっている。

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